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2011年05月30日

被災地で求めているものは、真心

 今晩のNHKの番組で石巻市が取り上げられていました。2月の放送の折にお世話になった石巻の皆様の安否を確かめ、またお見舞いをしたいと司会者らが再度尋ねたというもの。そこでは地元の皆様が司会者らを待っていて「どうして早く来なかったの」と言って愛おしい人を待っていたかのように目頭を熱くされています。「私達本当につらかったのよ、なぜもっと早く来てくれなかったの、待っていたの」とお話したい御顔つき。

 被災された皆様が求めているのは、生きていることをよかったと思ってくれる人の優しい真心だと感じます。テレビを見ていて、私の友人も同じお顔をしていたことに気づきました。

 被災後テントを張って何日もいち早く災害ボランティアで入られた方々は、素晴らしい活動をされました。被災された方々に多くの希望を与えたことでしょう。自分企画のおしつけのボランティアにならないように気配りしながら、入り方に最善の注意をしての活動であったでしょう。脱帽です。

 自然の脅威にはどうすることもできなく、強く自然に支配されている私達の地球。でも脅威に打ち勝つのは強いものでも形ある物でも高価なものでもない、人の真心。目に見えない大切なものが、私達の心をまた強く育て、時代を創っていく力になるのでしょう。

 
   


Posted by 戸塚久美子 at 23:17

2011年05月29日

被災地に立ちました、友人の住む石巻市


 無事であった友人には石巻市役所前で会うことができました。50分ほどしか時間はありませんでしたが、沢山のお話をしました。これからの私達のまちにも役立つ防災情報としての数々も。

 最初に避難した体育館にも水が入り、学校の校舎へ2階以上へ避難し、そこでは2日間椅子1つの生活、ポテトチップ3枚の食事の時もあったとか。水はなかなかひかなかったようです。避難所では自治会長さんのリーダーシップに救われたとも話していました。

 2か月を過ぎて、道路上の障害を取り除き、少し落ち着いてこれからを考える時期になってきているのではとも感じてきましたが、深刻な被害だけに他の地方自治体からの職員の応援はあるものの行政サービスは機能しにくいのでしょう。罹災証明の発行もままならないようです。罹災証明がなければ義捐金も受け取れないのでしょうから。

 これからのことを考えると、いくつかの大きな決断をしていくことになるのでしょうが、家族がいて生きていることの喜びを真に感じる瞬間瞬間を沢山集めて元気を出してほしいと願っています。
 彼女が避難していた避難所や近くの災害ボランティアセンターに、わずかではありますが掛川茶をお届けしてきました。私は小さな気持ちしか表わせなかったのですが、石巻の皆様からは沢山のことを教えて頂きました。  東日本の大災害は私達皆の災害であり、皆で乗り越えるものでしょう。  


Posted by 戸塚久美子 at 22:41

2011年05月24日

あいりーなを見て!子育て支援の拡大

 掛川市は子育て支援が後発だったのに、今では県内でも充実したまちになってきているようです。良かったです。中でも旧東高校跡地の「あいりーな」の3階で行われている子育て支援は、未就園児の子育て支援だけではなく小学生、中学生、高校生まで通える児童館的スペースになって、子供達の居場所として年齢層を拡大した対応が可能で、多様な支援が受けられるようになっています。県下でもユニークな取り組みです。

 市内の女性の有志達が積極的に提案されて、あいりーなができる時に配置されたもので、成長し続ける子供達をいつも見守り支援できる運営システムを作り上げて頂いています。設置はすぐできても利用者に満足を与える運営にまで整えるのは至難の業です。素晴らしい運営となっています。

 どうかな?と心配はしているものの、なかなか出向けませんでしたが、今日は久しぶりに指導の先生方に会ってお話を伺うことができました。

 特に小学校高学年の子供達の居場所となって、子供達やその保護者への年齢に応じた必要な支援や心のケアもできて、中学生になって学校に行けなくなる事態を未然に防ぐことにつながるのではと感じています。
運営に関わる先生方や、多くの支援者の皆様のお力を賜って、地域で子供達の成長を支援できるこういう取り組みが一層広がっていくことを願っています。  


Posted by 戸塚久美子 at 23:53

2011年05月22日

津波の中にいた友人は無事でした

 皆様の御縁のある方々にも今回の大地震で被災された方もあることでしょう。私の家では選挙後、主人の同級生の死亡を確認し、私の友人の安否を確認する色々なことをしてみました。ネットで探す、他の友人らに電話して昔の住所録があるか問い合わせたり、最後は郵便でご実家に手紙を書いて送りました。
 その手紙に携帯電話の番号を書き込んでおきましたら、電話をしてきてくれました。無事でした。鳥肌がたち幸運を喜び合いました。友人の結婚式以来の電話での会話です。

 友人は石巻市の北上川のほとりで、津波は凄まじく、自宅の2階に女性3人で避難し一階は全て水没、流れてきた漁船が隣の家の垣根で止まり、自宅は津波に耐えてくれたと話していました。家族とは3~4日程連絡がつかなかったようです。幸いに家族4人とも無事で市内を離れて生活をしているようです。
 間一髪でした。怖かったでしょう。

 約30年ぶりですが、お見舞いができるといいなと考えています。仙台を拠点として被災地へ行ってまいりたい、そして津波が北上川を北上した様子を視察したいのです。  


Posted by 戸塚久美子 at 22:05

2011年05月19日

議員であったら、茶葉のセシウム問題は

 議員でないため、今回の茶葉の放射性物質問題を扱うことはありませんが、心配しているため、情報を集めています。議員をさせて頂いていた者の「性」とでも言うのでしょうが、気がかりです。

 私が所属していた会派「民主党・ふじのくに県議団」と県内の民主党の国会議員らが参加している民主党県連の茶業振興議員連盟の動きが見えません。私が落選したことのショックは少なからずあるようで、(活発なるお茶の活動をしていてもそれが茶業現場に伝わらないし、茶業者の改革者を嫌うことへのショックですが)、やっと芽生えてきたお茶への関心が、ショックのあまり県連の皆様から薄れて行くのは余りにももったいないです。多くの議員に茶業振興の活動を担って頂くことが、何より大事で、自民党県議だけ?でいいわけではなく議会は数の力で物事決まりますから、全ての政党の議員に応援してほしいと思うのです。

 茶議連の組織を再構築して頂いて、益々茶業発展にご協力してください!県連の皆様!遠く掛川の地からエールを送ります。

 とはいえ、お茶には公正取引における公正競争規約・規則さえないわけで、お茶の正当なる放射性物質の基準値を示してと国へ要請する前に、業界自らが商品の適切なる取引基準を設けることも大切な一歩であると思います。県連だけでなく業界の皆様の奮起にもご期待申し上げます。  


Posted by 戸塚久美子 at 22:20

2011年05月15日

ものづくりシンポin袋井市


14日に袋井市で3回目になるものづくりの全国大会が開催されました。知事も基調講演されました。ものづくりの大会らしく、手作りな大会運営であり、地域の実情にあった研究発表が行われていました。掛川市のある企業は全面的に協力され、さすが地域企業のトップリーダーと感心致しました。「ものづくりで創る豊かな学び」がメインテーマであり、学びを引き出したり、学びの深まりの中で目的を達成したり、なにが豊かなものかを会場の参加者と一緒に考える時間を持ったように思えます。  


Posted by 戸塚久美子 at 23:25

2011年05月09日

浜岡原子力発電所が全面停止へ



  国の要請を受けて、中部電力が受け入れ。夏の電力不足が出ないように、中部電力管内の市民や大手・中小の企業の協力を得て、中部電力は原子力以外の電力供給事業の展開となりました。
 どうして浜岡だけという疑問は残ります。
 安全の上の更なる安心の為に止めることになりますが、将来のエネルギー資源の確保というエネルギー政策の再構築が始まりそうですね。  


Posted by 戸塚久美子 at 23:21

2011年05月06日

浜岡原発が止まる、代替は何か?

 ビックリしたというより当惑・・首相要請で浜岡原発が止まる・・私も市議会議員時代からずっと神経を使ってきた重大な問題であり、国策が転換される瞬間に私達は立ち会っているのかも。

 国策の転換は、天の声的でいいのでしょうか?国民の協力はいらないのでしょうか?私は街頭で出会う人々から「原発止めてください」と言われると、「止めるのならば、私達は何をすべきかを模索し行動してみましょう」と答えてきました。国民が協力して家庭内の電力の節電や自然エネルギーの導入、産業・物流の為の電力確保の代替エネルギーの構築、新たな社会生活をデザインする、など「止める」前に必ず考察し協力体制を造った上での国策であってほしいと願うものです。私も「止める」に反対するものではなく、世論と同じように怖くて不安でいたたまれない県民のお気持はよく感じています。止めるという選択をするのならば何をどうするのかを国民で導かなければならないという視点で考えています。

 ただ、ここで恐れずに言っておきたいことがあります。浜岡は福島にはならない高い見識で整えられている発電所だということ。岩盤の揺れで1000ガルまで耐えられ、発電機もタービン建屋ではなく炉心建屋の中にあり、外部電源もあり、1000年以上の歴史上の最大地震を想定して対応しています。津波対策も福島の検証をもって更なる安全対策に臨んでいました。それは国民の意見を反映したものです。
 
 日本の社会を支えるライフラインとしての電力を、安定供給という確かな技術を持って、日夜供給してきた電力会社の職員の皆様の誠実な仕事ぶりと生きざまを見ることも大切でしょう。

 国政は、本当に将来を見据えた政(まつりごと)をしているだろうか?「止める」という大胆な国策の転換という英断に相応しい国民の合意形成が、これからの社会をけん引する力なのに、その力を引き出せず、「止める」ということだけを言うのであれば今のタイミングではないはず。
 東海地震の確率が87%であるという根拠は、すでに以前から議論になっていることであり、今はエネルギー政策の転換をするか否かを国民と対話することが大切でしょう。産業・経済活動に新たな転換を求めつつ、経済成長をも維持できることは、国民にも多くの協力を求めることになるのでしょう。今晩の政府の対応に、今後のことを考えると納得できない思いを抱きます。  


Posted by 戸塚久美子 at 22:19

2011年05月05日

国県の要人が浜岡の原発へ次々

 今日も海江田大臣や知事らが原子力発電所を視察されたもよう。3号基の運転の可否について状況判断の為ではないでしょうか?津波対策として砂丘が有効であるか否か、12m以上の防波壁は何時建設されるのかなど大臣や知事だけではなく、一般の県民の関心の高い疑問となっています。

 わたしたちは、原子力発電無しの未来の社会生活、産業構造を導ける、国民のコンセンサスが得られる為には、何をすべきでしょうか?新しい時代のエネルギー確保は、如何なる方針でどのような工程表を描くべきか、その対応を速やかにしなければならないでしょう。

 想定という言葉は、建物を建てることなどの、目安が必要なことから、想定をしているのでしょうが、日頃の原子力発電所の運転の安全確保には、(想定ではある一定の安全しか確保されないわけであり)安全の為には想定を最悪としなければならなかったのでしょう。

 科学は自然を超えられなかったのですから、自然を中心に据えて、新たな科学の未知への挑戦を期待しつつ、現在は何をしておくべきかを真剣に議論をする必要がありましょう。エネルギー政策は国力に直接作用することであり、日本の未来が決まってしまう大事な問題であります。  


Posted by 戸塚久美子 at 22:49

2011年05月01日

議員でなく地域人として30日も植樹















宮脇昭先生が今年も、倉真の地へお越しくださった。NPO時の寿の森クラブの方々と毎日新聞社ほかの関係各位の活動が、30日に障害をもつ子供達をお招きして行われました。もちろん講師は宮脇先生です。毎年お歳を重ねられない毎年同じお元気なご様子に感心致します。

東北の被災地の一つ、気仙沼。以前、クラブが講師でむかえた「森は海の恋人」で有名な畠山重篤氏も被災されたとのこと。クラブの皆様は、これから先も畠山氏の雄々しさを期待して大きな垂れ幕にメッセージを参加者に書き込んでもらっていました。主催者の皆様の活動に敬服します。

被災地の皆様方のことを考えるとき、植樹の持つ意味と深く重なるものがあります。森と人間の関わりは命をつなぐ大切な思想でもあるのでしょう。

29日まで、県議を務めさせていただきました。市民の皆様の期待に応えられたかはわかりませんが、私なりに充実した活動時間を持つことができました。議員バッチは政策提言活動の為にはパスポートのように役に立ちました。決して議員バッチの為に活動はしてまいりませんでした。県議会参画と言う機会を与えて頂きありがとうございました。  


Posted by 戸塚久美子 at 23:38